例会報告

2023.08.17第1807回 8月 第2例会印刷

SAA

髙野澤昇S.A.A

§ ロータリーソング「四つのテスト」

会長の時間

仲田陽介会長

異常ともいえる猛暑の中、大雨による被害が多いのも事実です。
7/14~18にかけての豪雨により、被害を被った秋田県について秋田豪雨災害支援金についての協力依頼が届いていますので、皆さんご協力をお願いいたします。

そして今年度の予算編成を行っていた中で、どうしても我がクラブの財政面が厳しいとの判断になりました。
食事を楽しみにしている方も多いと思いますが、大変心苦しいのですが本日の例会より食事の金額と内容を見直しさせていただきたいと思います。
ご理解をよろしくお願いいたします。

ニコニコBOX

中山文人 委員長

§ 仲田陽介会長
 皆さん、ニコニコをよろしくお願いします。
§ 上野広行幹事
 福田裕さん!!生まれて初めてのRC新入会員卓話、楽しみにしております。頑張ってください。
§ 小林 徹会員
 誕生日のお祝いありがとうございます。

活性化

幹事報告

上野広行幹事

① 宇都宮駅東LRT開業記念 子ども相撲大会 協賛広告の件
歴史文化を伝承する市民の会にて事務局長を務められている中村弘会員より来る令和5年10月7日に宮みらいライトヒルにて行われる子ども相撲大会についての広告協賛のご依頼が御座いました。クラブとして、まちづくり・公共イメージの向上に繋がることを鑑み20,000円の協賛をすることが理事会で決定致しましたので皆さまへお知らせ致します。

② 2025年規定審議会に提出する制定案の募集について
2025年開催予定の規定審議会に提出する制定案の募集について案内が来ております。
規定審議会とはロータリーの組織規定文書を改訂する統治機関です。3年に一度開催される規定審議会では、制定案を審議し、投票します。各地区より1名の代表議員が派遣されすべてのクラブまたは地区が制定案を提出することが出来る仕組みです。
詳細は皆様へメールにてご案内させて頂きますのでご一読頂ければと思いますので宜しくお願い致します。

③ 大音会員お見舞金の件
現在沖縄滞在中の大音会員がお怪我をされ治療に専念されております。
クラブ内規:慶弔規程に基づき30,000円のお見舞金をお渡しする事が理事会で決定されましたので皆様へお知らせ致します。

④ 2023年6月11日(日)第19回 高校生RYLAセミナー報告書の件
地区RYLA委員会より先日行われました高校生RYLAセミナーの報告書が届きましたので本日回覧させて頂きます。

⑤ クラブジャケット作成の件
再度になりますが、東武宇都宮百貨店4Fイージーオーダー(秋山様) 1着52,800(税込)でクラブジャケットを仕立てて頂けます。
田村晃さんに交渉して頂き、物価上昇により価格が高騰している中、従来の価格でお取り扱いして頂ける事になりました。
希望者は幹事:上野までお声がけ下さい。期日を8/24(木)までとさせて頂きます。

⑥ 公益財団法人東京交響楽団 コンサートのご案内
コロナ禍からの文化芸術活動の再興に向けての活性化を図ることを目的としたコンサートの案内が御座いました。ご興味がある方については、幹事:上野までお声がけ下さい。
【公演日時】 2023年9月11日(月) 13:15会場 / 14:00開演
【公演場所】 宇都宮市文化会館 大ホール
【出   演】 ヴァイオリン:千住真理子氏 / オーケストラ:東京交響楽団
【チケット料金】全席指定:S席3,000円 /A席2,000円 ※未就学児の入場不可

地区社会人RYLAセミナー

大橋義弘会員

§ 11月3~4日社会人RYLAセミナーが開催されます。皆様の企業の従業員の方等のご参加をお待ちしております。

新入会員卓話

福田 裕 会員 福宮建設(株) 代表取締役

皆さんこんにちは。
昨年の11月に、徳原さん、田村吉幸さんから紹介を頂きまして、入会させていただきました 
福宮建設株式会社 代表取締役 福田 裕と申します。
本日はお忙しい皆様の貴重なお時間をいただきまして『新入会員卓話』という時間をいただき誠にありがとうございます。

私は現場監督上がりなもので、作業服の方たちの前で発言する事は得意なのですが、Yシャツの方たちの前での発言はどちらかというと苦手でございます。
そして、大変お恥ずかしいのですが、今回初めて『パワーポイント』を使い、資料を作成しました。どこまで映るか不安でしかありません。
なにぶん、こういった場所で、30分もお話しをさせていただく機会もありませんでしたので、不慣れな点しかございませんが、出来るところまで頑張ってみますので、よろしくお願いします。

それでは早速、自己紹介からさせていただきます。
私、福田 裕 1973年(昭和48年)12月15日生まれの49歳でございます。
家族構成は妻、それから、2歳になった長男と2月に産まれたばかりの次男がおります。
コロナ禍に入るまでの夜は私もまあまあ、『仲間との親睦night』が多く、家を留守にすることが多かったのですが、ここ数年は、家に滞在することが多くなりまして、かわいい子供との夜を満喫する日々を過ごしております。
お陰様で、おむつの交換から、快適なお風呂入れまで卒なくこなす事が出来るようになりました。
ただ、子供たちの年齢差があまりないものですから長男の次男に対する焼きもちに少し、手を焼いているところです。
自称ではありますが、うちの子は大のパパっ子です。
今後、家族例会等でお会いする機会が出来ると思いますので、私共々、よろしくお願いします。
そしてどうぞ、『いいパパだ』と言う宣伝を我が家族にお伝えいただければと思います。

最近の趣味ですが、
まずは、ソバ打ちでございます。
妻のお袋さんに3年くらい前に教わりまして只今ドはまり中です。
が、妻はうどん派で、子供はアレルギーがまだ分からないので、家族で食べることは余りありません。
どこで挑戦しているかと言いますと、お盆、正月、わざわざ仲間内の宅飲みを開く等、数少ない、人が集まる機会に挑ませてもらっております。
現在は、まあまあの犠牲者のもとに少しは食べられる蕎麦が打てるようになりました。
趣味に没頭できない私を見てかわいそうに思う優しい嫁は、気を使ってこんな事を言ってくれます。
そんな時だけは私も『いい嫁を貰ったなぁ』とまともに受け止めてしまいます。
もし、蕎麦同好会等がございましたらお仲間に入れてください。

それから、何故かウチの庭いじりが好きになりまして、 会社や実家の庭いじりには興味はないのですが、毎月のように田村さんに芝の相談をさせていただいております。
猫の額のような大きさではありますが、自分の中では丁寧に手入れをしているつもりです。
先月末は暑くて、じめじめして、豪雨が来ての三拍子揃った環境でしたので、キノコが生えてしまい、毎週末、長男と除去作業をしておりました。
この間も、ホームセンターであれやこれやと道具、農薬を揃え、作業内容を報告したところ、『やりすぎ』と田村さんには笑われたばかりです。

今日は時間が長いので、少し、私の青春時代の話もさせていただきます。
私は、1973年(昭和48年)に第二次ベビーブームの中産まれました。 この当時、世の中ではオイルショックが起きておりましたので、私たち世代は『最後の布おむつ世代』と言われていたはずです。
1986年、バブル期突入のため、お金も、治安も緩い時代でした。『ディズニーランド』に行ってみたいとか、『ファミコン』が欲しいとか、まあまあの駄々をこねた反抗期を迎えながら、錦小学校を卒業しました。
1989年 中学校卒業と同時に『平成』に突入しました。バブルのピーク時代、『日本を売ればアメリカがかえる』等と言われていた時代です。
ただ、『団塊ジュニア世代』の私たちには、ここから、嫌な『受験戦争』が始まりました。
1992年 3学年で在校生1万人と言われ、その人数の多さから、皆様には登下校時に多大なご迷惑をかけた学校を卒業しました。
バブル景気に沸く世の中を見ていた私たちは、高校卒業後、『自分も楽しい世界が待っている』と信じて疑わなかったにも関わらず、あえなくバブル崩壊となりました。結局、『バブルにギリギリ間に合わなかった世代』です。
ですが、産まれも、育ちも宇都宮の私は、当時のトレンディードラマや雑誌に刺激を受け、1人暮らしにあこがれ、東京の学校に通う事をネタに、1人暮らしを始めました。
学校は『田町』にありまして、その当時の週末は伝説のディスコ『ジュリアナ東京』が全盛期で、駅のフォームや、階段したでは目を覆わんばかりの幸せな光景がいつも広がっていました。
新聞会社の系列学校でしたので、東京ドームでオーロラビジョンを横目に体育祭を行いました。そんな、朝まで遊び続けられる東京の環境を満喫しながら
1994年、場を惜しみながら卒業しました。思い出がありすぎて恥ずかしいので割愛させていただきます。
そして同年仙台の建設会社に入社しました。
右も左もわからない、誰も知り合いがいない場所でしたので、とりあえず会社の寮に入りました。
仙台は海と山が非常に近く、休日は勿論ですが、仕事帰りにも夏は海へ、冬はゲレンデへ、そして給料日には国分町へと直ぐ行けてしまい、お金さえあれば非常に楽しい土地柄で、私には本当にピッタリなところでした。
こんなに環境の揃った中ですので、遊ぶために仕事も頑張りました。
公共工事の受注が多い会社だったこともあり、現場から書類まで、キッチリやらされておりました。必要な資格試験も寮に居たことで、先輩たちに毎日ご指導いただき、順調に取得することが出来ました。
現場も『建築』の新築工事がメインで、学校、銀行、国体で使用する施設、マンション、銀行、動物園等、鉄筋コンクリート構造の建物を中心にたずさわってきました。
鉄筋コンクリート造の現場では、大勢の職人さんたちがコンクリートを打つ為に何日も掛かって作業をしますので、ある意味コンクリート打ちは作業間での区切りになります。コンクリートを打った日は、コンクリートを凍らせないように夏場以外は暖を取りました。30年前の現場では、夜中になると、たいてい花札で一杯みたいになっていました。
また、『安全大会』という講習会がありまして、作業する方への安全教育を定期的に実施していました。職人さんはタダで飲み食いできるBBQ大会がセットとなるので、勉強熱心な協力業者さんが、この日だけは増えて、必ず30~40人くらいになるのです。ですから、この行事があると必ず私たち若手社員は朝から市場や肉屋、酒屋等を駆けずり回って食材調達部隊、給仕係になるので、いつもこの日ばかりはお休みを頂きたかったという思い出があります。

ちょっと余談では在りますが、この当時、『暴対法』が施行されて間もなかったため、まだ、怖いおじさん方も現場に現れて私の上司たちは何かを売りつけられたりしていました。
私も1年生の頃の上司が怖いおじさんたちに、『裸の写真を買ってくんない?』と言われて買わせられていたことを覚えています。
ただ、このお高い写真はスタイル抜群な『素敵な力士さん』でしたけど
そして、丁度このころ現場にもIT?の波が来まして、書類はワープロ、図面は手書きで行っていたものが『ウィンドウズ95』の発売により仕事の大半がパソコンとなりました。また、1999年、2000年ゴロにはISOが登場しました。今とは大違いで、この当時のISOはルールが細かくて非常に大変で、ある程度お金のある企業でないと、絶対出来ないことだなと感じておりました。
現場休暇にも変化がございまして、月火水木金の体制から急に、隔週での強制的な週休二日制度が始まりました。
その当時の福宮建設と比べると3~4年の働き方の違いがあったと思います。
約7年間の苦しい経験を積みながら ちやほやされた仙台での修行を勤め、2001年、10年ぶりに宇都宮へ戻り、福宮建設に入社しました。
ここまでは順調でよかったのですが、入社したころの弊社の稼働状況は、長引くバブル崩壊の後遺症からなのか、あまり良くありませんでした。
弊社も昔は下請け体質でしたので、元請けさんに仕事がないときは当然、ほぼ仕事がありませんでした。
その時初めて『総合建設業』のマークを掲げているのに下請け体質になっている弊社の弱さを感じました。
そして、この状態を脱却して自ら受注を得られる会社を作らなければいけないと思いました。
ただ、感じることは簡単なのですが、今まで、モクモク、コツコツと現場を作り上げることしかしてこなかった私は何をすれば良いのか分かりませんでした。
かろうじて、当時の私は周りより少しだけパソコンのスキルがあったので、やたらと色々な会社へ派遣のように出されて洋服ダンスにはカラフルな作業服が並びましたが、何とか自分の仕事だけはこなす事ができました。
因みに、今ではウチの社員よりもパソコンが出来ません….
私が初めて自分の作業服で現場に出られたのは入社3年目でした。その時の現場が『宇都宮城』です。
市役所から真っすぐ橋を渡った所と北側はEVまで、南側も少し施工させていただきました。
何故かこの当時、現場の周りは街宣車が毎日来ていたり、毎朝、現場事務所には頼んでもいない新聞が置き去りにされて、いつ法外な請求が来るのかな?とか少し嫌な感じの現場だったのです。ただ、予感は意外なところで当たってしまいました。
まさかの『工事金と工事日数が足りない』という悲劇をうけてしまいました。
これは、現場員にとっては最悪の現場で、私も未だに忘れませんが、初自社物件で大赤字、更に突貫工事という内容で福宮建設の仕事をスタートしました。
その後も私の中では少しでも会社をよくしようと努力をしてみたのですが中々結果が出ませんでした。
ある時、久々に地元の仲間から草野球チームのお誘いを受け、とりあえず参加してみました。
ここから、夜の福田裕生活がスタートしてしまいました。
草野球に参加すると学生時代には関わっていなかった人たちに会うことができ、試合のたびに『反省会』と称する酒飲みを行い、仲間がどんどん増えていく楽しさを覚えてしまいました。
その後、多くの方に色々な団体にお誘いいただき、青年と名の付く団体に数多く関わらせていただきました。
その結果、私は豊満なバディーと、私なりにではありますが、多くの仲間(人財)を得ることが出来ました。
『今後も色々な方たちに叱咤激励を頂きながら自身の成長と、その経験を後輩たちに繋げていきたい』と思っております。

時間もありますようなので、今度は弊社の現在のお話をさせていただきます。
弊社は父が創業し、昨年5月にバトンを渡されまして、私が代表を務めさせていただいております。
先代からの経営理念であります『誠実な経営活動を通じて、人と社会から喜ばれる価値ある会社を目指します』をモットーに社員一同、力を合わせ、また、色々な方々のお世話になりまして何とか42年目を迎えることができております。
総合建設業として、また、地域社会の安全・安心の確保をになう地域の守り手として共生させていただいております。
事業内容としまして宇都宮市を中心に官公庁工事、民間工事での施設、店舗、工場、倉庫、マンション、アパート、住宅等の新築・リフォーム工事や宅地造成、外構、(エクステリアや舗装工事)等を行っております。
メインは建築及びその付帯する工事を行っております。
認証資格や加盟団体はこちらに抜粋して書いております。
会社の所在地は鶴田町です。猪俣前会長様の会社や佐藤あきら様、前職場前に構えております。もう少し分かりやすく言い直しますと、東京インテリアの宮環はす向かいで『ゆらり』、『ベルズ』、弊社、『業務スーパー』と地続きで並んでおりますが、宮環との間に四階建てのアパートがあり、宮環からは見づらいところにあります。
お近くにお越しの際はお茶飲みにでもお寄りください。

弊社の職種はかなりわかりづらいところが多々あると思いますのでもう少し『弊社の職務』と『総合建設業』の説明をさせていただきます。
まず、建設業とはから始まってしまいますが、工事内容や施工方法の違いから29業種に区分されています。
が、大きく分けると『土木一式工事』と『建築一式工事』、それから専門工事業者27業種という形に分類されております。
造園屋さんや、水道屋さんは、建設業ですが専門工事業者ということになっております。
それでは、この土木と建築の『一式工事』とは何かといいますと、『総合的な企画・指導・調整のもとに土木または建築を行う工事』と定義されております。
この一式工事を請け負うものを『総合建設業』若しくは『ゼネコン』と呼んでおります。
弊社は、土木も建築も行いますが、ほぼ建築一式工事を行っておりますので工事の最初から最後までのスケジュールをたてたり、品質のチェックを行ったり、コストや、現場での安全を管理したりする施工管理(現場監督ばかりいる)業者です。

少し雑談で諸説あるようですが、
土木と建築の語源ですが『土木』は、『築土構木』(ちくどこうぼく)と言いまして、土を盛り材木を組んでという言葉が語源になったと言われております。
これは『淮南子』(えなんじ)という中国大陸から伝わった大昔の日本に登場する言葉で、これを明治時代の人が縮めて『土木』としたと言われております。
『建築』は、英語の『アークテクチャー』を日本語に訳す際、当初『造家』(ぞうか)と訳されていましたが、築地本願寺などを手掛けた伊藤忠太さんが、明治27年に、より本来の意味に近い『建築』と訳すべきだと提唱(ていしょう)しました。
これを受け『造家学会』が『建築学会』と名前を変更するなど『建築』という言葉が使われるようになりました。

そして『総合建設業』とは?
社会基盤を整える
道路、トンネル、ダム、橋等、生活に必要な施設をつくり、社会の基盤を整えます。
2. 日常生活を支え、豊かにする
日々利用する学校、病院、商業施設、工場等の施設をつくり、日常生活を支えます。
生活を豊かにする図書館、ホール、美術館等の施設をつくります。
3. 守る
洪水や地震などの災害に対する対策を行い、私たちが安心して生活できるよう、暮らしを守ります。
また、もし災害にあったときは、復旧に貢献します。
4. 次代へつなげる
社寺、城郭、駅舎等、古い時代の建物を未来へ引き継いでいけるよう、歴史的建造物を修復・復元します。
5. 環境を考える
風力発電、ソーラー発電、ゴミ(産業廃棄物)の分別等、自然エネルギーの活用や温暖化対策など、より良い明日を切りひらくための取組みを行っています。
6. 未来を創造する
エレベーターで宇宙に行く!?海の上の都市?今まで不可能と思われていたことを可能にする為に挑戦し続け、新しい未来を創造していきます。

大変大きいことを言いましたが国交省に出ていたものを使いました。
 
 以上が『弊社の職務説明』と『総合建設業の説明』となります。
今後、私と致しましては、昨今のウクライナ情勢による原油高をはじめ、円安による資機材価格の高騰、高齢化社会による人手不足等々、先行き不透明な経済状況が続き、建設業のみならず、全産業、ますます厳しい時代を迎えておりますが、この機会を奇貨とし、社業に邁進して参ります。
 そして、弊社も~確かな技術と信頼で、地域社会へ貢献の道をひらく~
と言う、企業スローガンが有りますので、これからも社員一丸となって取り組んで行く所存でございます。
 皆様から、ご用命と有れば喜んで、私よりも質が良く丁寧な対応で経験豊富な社員がおりますので何なりとお申し付けください。
最後となりますが、本日この場を頂きましたこと、大変感謝いたしております。最後までのご清聴誠にありがとうございました。

プログラム

小沼正則副委員長

第1808回 8月24日(木) 通常例会:招待卓話 公益社団法人被害者支援センター専務理事 本村誠 氏「犯罪被害者支援とは」
第1809回 8月31日(木) 通常例会:新入会員卓話 大山悦史会員

出席報告

会員数 出席数 欠席数
44名 25名 18名