例会報告

2023.4.27第1793回 4月 第4例会印刷

SAA

白井将資S.A.A

§ ロータリーソング「奉仕の理想」

会長の時間

猪俣裕一会長

先週の4月23日(日)第2550地区クラブ活性化セミナーが3年ぶりに開催されました。規定審議会及びロータリーの柔軟性をテーマとし、規定審議会は3年に1度で、ロータリー唯一の立法機関です。ロータリーの柔軟性については、元気なクラブとして「学び・考え・行動する」ということでした。この1年間ロータリーに向きあいロータリーを楽しむこと。先日、中山文仁会員のニコニコで、「ロータリーに入って良かった」とコメントいただき、会長になって良かったと心から感激致しました。

ニコニコBOX

藤井 良委員長

§ 猪俣裕一会長
 綱川様ようこそ北クラブへ、卓話楽しみです。
§ 中村 弘会員
 4月29日で結婚52年目です。ま~よく続いたものです。これからもね!ニコニコ。
§ 川野博英会員
 新緑が鮮やかになって来ました。週末ゴルファーには、天気が残念の週が続いています。練習に励みます。
§ 飯野貴道会員
 5月は会計事務所の繁忙期になりますが、例会を欠席しないように頑張ります。
§ 福田 裕会員
 きれいなお花ありがとうございました。

活性化

幹事報告

大橋義弘幹事

§ 5月5日に執り行われますゴルフ大会の件ですが、出席される会員の皆様は会場に午前7時00分にお集まりください。
  組織図で案内受付の方々は午前6時30分にお集まりいただきようお願いいたします。

招待卓話

綱川仁士氏 映画製作統括

映画「島守の塔」の製作に関わってと題してお話がございました。

次世代に語り継ぎたい「島守」
新元号が令和に変わり、昭和、平成、令和と時が進んでいます。
第2次世界大戦では、日本における最大の地上戦「沖縄戦」をはじめ、長崎、広島での原爆投下、東京や各地方都市においての空爆で300万人以上もの尊い命を失いました。
昭和、平成の時代を歩んでこられた上皇陛下は、天皇として最後となった平成30年12月の誕生日の記者会見で「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と涙で声を震わせて平成を振り返り、昭和の大戦を踏まえた平和への思い、そして沖縄がたどった苦難の歴史についても言及されました。
長期の地上戦が決行された激戦地沖縄の摩文仁の丘。ここは軍事召集で沖縄及び南方で亡くなった方の慰霊碑が立っています。
この場所は、沖縄の心「命(ぬち)どぅ宝」(命こそ宝)と訴え消息を断った、当時の沖縄県知事・島田叡(兵庫県出身)と沖縄県警察部長・荒井退造(栃木県出身)の終焉の地でもあります。摩文仁の丘の中央には、沖縄県職員の戦没者を慰霊する「島守(しまもり)の塔」があり、その奥には、島田と荒井の連名の「終焉の地」の碑があります。隣には、栃木県の慰霊塔「栃木の塔」その背中合わせに兵庫県の慰霊塔「のじぎくの塔」が立っています。これらの3つの塔の配置は、「生きることの尊さ」を後世に伝えてほしいと、この地で生涯を閉じた島田と荒井の信念を継承し、3県の慰霊塔が寄り沿って立っています。
沖縄戦では、家族や友人、そして官僚や学徒兵などそれぞれの立場での隠されたドラマが多くあったことでしょう。映画「島守の塔」は第2次世界大戦末期、長期の地上戦が決行された地沖縄を舞台に、県民の命を必死に守る戦場の知事と1人の警察部長のそれぞれの苦悩や葛藤などの生き様を通して「人間の命の尊さ」を描く映画を企画しました。
「命(ぬち)どぅ宝」の言葉が、戦争の記憶をいつまでも風化させず「人間としての命の尊さ」を発信できるものと確信しています。また、主な登場人物の出身地(沖縄県、兵庫県、栃木県)の地方新聞社が連携を図り、単にこの映画製作の支援・協力をするだけでなく、3県のトライアングルによる「平和交流事業」の基盤を構築し、3県のみならず全国のメディアに呼びかけ、大きな平和事業に発展させていきます。過酷な爪痕が残る沖縄戦から「命の尊さと平和」を発信するのは、昭和、平成、令和と「平和」を伝えてきた新聞社の使命でもあり、令和を生きる次世代にしっかりと伝え継承を促せることができる映画事業にいたします。
平成と同様に「平和」を受け継ぐ令和になってもらいたいと切に願います。

島守の塔
沖縄県糸満市の摩文仁の丘 平和祈念公園内にある、沖縄戦で殉職した島田叡知事(兵庫県出身)と荒井退造警察部長(栃木県出身)をはじめ、県民の安全確保に挺身した戦没県職員469柱を祀る慰霊塔。1951年(昭和26年)に旧県庁の生存者三百数十人や県民を中心とした浄財の寄付により建立された。摩文仁の丘には、陸軍の司令部壕の他にいくつかの壕があり、そのうち軍医部壕から島田叡知事と荒井退造警察部長は2人で外に出てゆき、消息を断った。そのため軍医部壕が2人の終焉の地とされており、「島守の塔」はその壕の前に建立されている。さらにその後ろに、島田知事と荒井警察部長の終焉の地を示す石碑が配置されている。
ストーリー
沖縄戦末期、本土より派遣された2人の内務官僚がいた。
1人は学生野球の名プレーヤーとしてならし、戦中最後の沖縄県知事として沖縄に赴任した島田叡(あきら)。島田は、度重なる軍の要請を受け内務官僚としての職務を全うしようとする。
しかし、戦禍が激しくなるにつれ、島田は県政のトップとして軍の論理を優先し、住民保護とは相反する戦意高揚へと向かわせていることに苦悩する。
そして、多くの住民の犠牲を目の当たりにした島田は「県民の命を守ることこそが自らの使命である」と決意する。
もう1人は、警察部長の荒井退造。島田と行動を共にし、職務を超え県民の命を守ろうと努力する。
実は、沖縄戦で2人はそれぞれ重い十字架を背負っていた。荒井は、子供など県民の疎開を必死に推し進めていた。その矢先、本土に向かっていた学童疎開船「対馬丸」が米軍の攻撃に遭い、数多くの子供たちが犠牲となった。また、島田は知事として、軍の命令で鉄血勤皇隊やひめゆり部隊などに多くの青少年を戦場へと向かわせていた。
2人はそれぞれ十字架を背負いながらも、戦禍が激しくなるのに伴い、必死に県民の疎開に尽力し多くの沖縄県民を救っていった。一億総玉砕が叫ばれる中、島田は叫んだ。
「命どぅ宝、生きぬけ!」と。

島田 叡(しまだ あきら)
1901年兵庫県神戸市生まれ。1945年1月、県知事として着任する。沖縄戦の混乱により県庁が解散するまでの約5ヶ月間、疎開の促進と食糧確保等、沖縄県民の生命保護に尽力した。

荒井 退造(あらい たいぞう)
1900年栃木県宇都宮市生まれ。1943年沖縄県警察部長に就任。沖縄が戦場となる危機が迫るなか、疎開政策に消極的だった当時の知事に代わり、県民の疎開・保護に尽力した。

出席報告

会員数 出席数 欠席数
39名 30名 14名